議論と口論
ブッダが教えを説いたインド周辺では、議論が盛んな文化があった(ある?)ようです。
多くの人々が「何故?」と言う事を良く考え、感情的に少々不満を感じても、論理的に納得できれば認めると言う考え方は、日本にはやや馴染みが薄いのかも知れません。
しかし国がどこであろうとも、誰でも自説を頭から否定されればムキになり、争いを招く火種になりえます。そこでブッダはその様な争いを招かない様に、細心の注意を払ってダンマを説いた様です。
経に良く見られるブッダの手法は、相手が何かを主張したとき「私はその話を肯定も否定もしません。それは貴方の正しさです。ところで私はこう思うのですが、これについて貴方はどう考えますか?」と持って行くものです。
確かに、多くの人は世俗諦を前提に物事を判断しているので、世俗諦を議論してしまうと相手の意見の否定なしにブッダの説くダンマ、つまり第一義諦に話を持っていく事は出来ません。
つまりブッダのやり方は、相手の機嫌を損ねずに相手の話を置いといて(有り体に言えば放置して)自説を聞かせると言うものです。
こう見ると一見酷いやり方の様ですが、相手を嫌な気分にさせずにダンマの話を聞かせるためには、他に適当な方法がないことが見えてきます。
ただでさえ理解が困難なダンマを、自説の正しさを信じてやまない議論好きの相手に説くのは容易な事ではなかったでしょう。しかし、論理の筋道を正しく見る習慣のある人なら、ダンマは理解しやすい面もあります。
逆に感情や気分だけで行動して、筋道などは考えない人にダンマを説くことはとても困難でしょう。そう言う人は我が強く、筋道よりも自分の都合ありきですから、ダンマを見ることは難しいと言えます。
そう考えるとブッダが行った布教の道は、本当に一筋縄では行かない大変なものだったのだと想像されます。しかしその大変な偉業のお陰で今日私達はブッダダンマを学ぶことが出来るので、ブッダ、ダンマ、それを伝えて下さった僧侶(サンガ)の皆さんへの感謝を忘れないこと、そして何より苦を減らして行き利益とすることが大切です。