ブッダダンマ各論

ブッダの教えについて各論、雑感を述べていきます。初めての方はブログもどうぞ。http://mucunren.hatenablog.com

無欲とは

「仏教は無欲を説く」と言うと「欲が無いと食欲も睡眠欲も無くて死んでしまうのではないか?」と言う疑問が当然生じると思います。

確かに欲が無くなれば死んでも構わない訳で、完璧に悟った阿羅漢はいつ死んでも構わない心の状態になる訳です。

しかし、完璧な滅苦を説くことはダンマを学ぶ比丘のためだけでなく、在家の信者、ひいては全ての人にとって有益な事なので、阿羅漢は敢えて自殺はせずに、しかし乞食によって命を繋ぐ訳です。当然眠る事もします。これらの行為を指して「ほら見ろ、欲が残っていないとか言いながら、やはり欲があるではないか」と言う批判は的外れと言うことになります。

悟った人が命を繋ぐのは、個体の生存を続けたいと言う欲によってではなく、全体の利益を最大化するためです。これも慈悲の心と言えるでしょう。

そう言う慈悲の心を持った比丘(僧侶)は供養に値する人で、彼らにお布施をすることは大変な功徳になります。

しかし、聞く人によってはこう言う話は屁理屈に聞こえるかも知れません。しかも実際に、供物を多く得る目的で悟ってもいないのに「私は悟りを得ました」と嘘をついた人は昔から存在した様です。

自信過剰でなく欲のために自分の悟りの状態を故意に偽るのは大妄語戒と言う僧籍追放に当たる大罪(パーラージカ)です。規模が大きくなったサンガ(僧の集団)ではこの様な大罪やそこまで行かなくても見逃せない罪がたまにあって、その都度新しい戒律が増えて行った様です。

実際、後世の経では生活のために出家する者もいると言う記述もあり、かなり昔から出家したからと言って必ずしもブッダの教えである滅苦のダンマを真面目に学ぼうと言う人ばかりではなかった様です。

しかし、それらの人がいても欲が無くなっても生きている人の存在の矛盾を示す事にはならない筈です。

読者の皆様もご自分でこの問題をお考えになってみてはいかがでしょうか。