ブッダダンマ各論

ブッダの教えについて各論、雑感を述べていきます。初めての方はブログもどうぞ。http://mucunren.hatenablog.com

貪瞋痴と習慣について1

仏教は煩悩(ぼんのう)の三毒である貪瞋痴(とんじんち)を減らす事を説きます。貪瞋痴とは何でしょうか。

貪欲(どんよく)、瞋恚(しんに、怒り)、無痴(むち、無知)の事です。 貪欲は何かを強く欲しがる、したがる衝動です。欲には何かしら満足するものを欲したり、したがるもの(愛欲)と、何かになりたいというもの(渇愛)と、何かになりたくないものの(無渇愛)の三種があります。他にはありません。

また、貪欲と正しい希望(正しい志)とはしっかり区別する必要があります。

美味しいものをお腹いっぱい食べたい、好みの異性と性交したい、等と言うのは貪欲です。しかし、心を良くして落ち着きたい、人として良い状態になりたい、と言うのは正しい希望です。

貪欲は基本的に肉体を生き残らせようとする目的、あるいは肉体の遺伝子を残そうと言う目的から生じます。これらは自然界で生物として繁殖するための欲求ですから、まさに「自然に生じる」ものです。

自然のものだから悪いものではない筈でしょ?だから自然に振る舞えば良いのでは?と言う疑問は当然生じると思います。確かに生き残る事を何よりも善しとするならありうる考え方ではあります。

要は優先順位の問題なのです。確かに貪欲は自然に生じるものです。しかし例えば産まれた子供を全く躾ずに放任して、つまり自然のままにしておいて良いのでしょうか?何でも自然な欲求のままにして良いのでしょうか? 欲しいものがあって手に入れるために何でもする人間は、確かに自然です。しかし、気に入らない事で泣き喚く位ならまだしも、力が付いてくれば力ずくで奪い取る事もするかもしれません。

自然に生きると言うのは、言い換えれば本能の赴くままに生きる事とも言えます。こう言うと途端に自然に生きる、と言う事が悪いものの様に感じたのではないでしょうか?

ここでひとつ気を付けて頂きたいのは、単語や言葉の使い方で、同じ事でも良く感じたり悪く感じたりする事です。 例えば今の「自然に生きる」と「本能の赴くままに生きる」などはその好例です。人間は大人になればなるほど知らず知らずに物事の本質をありのままに見るのではなく、「今までの経験から自動的に導かれるパターン」、つまり習慣で判断、行動するようになります。 (続く)