ブッダダンマ各論

ブッダの教えについて各論、雑感を述べていきます。初めての方はブログもどうぞ。http://mucunren.hatenablog.com

「慢」の煩悩

 慢心と言う単語はよく耳にします。何かしら自分は優れているとか、義務から解放されているとか、その種の「自分は他者より優位な状態にある」と言う心の状態が慢心と言えるでしょう。

 「優れている」と感じるのは、必ず何かしら自分の立場や能力などに自信を持っているのが理由です。客観的根拠に基づいて、可能なことと不可能なことを区別できることは悪いばかりではありません。それは客観的観察です。

 しかし、何かしらで他者より優位に立って、客観的事実を越えた万能感に支配される様では苦を減らすことは覚束なくなります。何かしらの特権や能力を持った人に見られる精神状態として、ゴッドコンプレックスと呼ばれる概念があります。これは特権階級、医師、資産家などが、自分の能力や権力を行使していくうちに万能感を感じてまるで自分が神になったかのような錯覚を受ける現象です。

 実際には人間の権力も資産も技能もあらゆるものが無常ですから、今朝あっても今夜同じとは限らないのですが。

 例えば有能な医師が患者に関わるうちに、まるで人間の生殺与奪が全て自分のコントロール下にある様な錯覚をもたらす訳です。また、「この患者を助けられるのは私だけで、他の医師には無理だ。」などと考えたりもします。そう言う話はさもありなん、とは思いますが、当然どんな有能な医師であろうとも全ての命をコントロールすることなどは不可能であって、客観的事実ではありません。医師が命を全てコントロールできるなら、そもそもブッダの智慧はこの世に不要です。典型的な「慢」の煩悩と言えるでしょう。

 この例えを見ても理解できる様に、「慢」の煩悩は何かしらの優越感から生じます。優越感は自他を区別するところから生じます。自他を区別するのは「自分」と言う錯覚が原因です。

 結局「自分」と言う錯覚の原因である我語取が慢の煩悩の原因なのです。例えば凄くちやほやされていた人が、無常によってちやほやされる条件を失えば、途端にその人は周囲から冷たくあしらわれる訳です。

 こういう事で心を病む人も少なくないのではないでしょうか。物事、特に心身を客観的に見られずに「自分」と思い込む事はあらゆる苦の原因です。「自分」と言う執着が残っている間は、程度の差こそあれ誰でも心の病気なのです。

 我語取は最後に取り除ける執着なので、そう簡単に捨てることは出来ませんが、捨てたと言う前例があるのですから不可能ではない筈です。いずれは我語取を捨て去りたいものですね。