ブッダダンマ各論

ブッダの教えについて各論、雑感を述べていきます。初めての方はブログもどうぞ。http://mucunren.hatenablog.com

結婚、妊娠、出産、育児 その1

 *この話は深いダンマです。世間の常識的価値観とは相容れない四聖諦の見地からの内容ですので、その種の話が受け入れられない方はお読みにならない事をお勧めします。

 人類はかなり昔から少数の例外を除いて結婚と言う制度を用い、妊娠、出産によってその存在を維持してきました。結婚、妊娠、出産は世間一般ではおめでたいこととされ、実際これらの事を喜ぶ人が多いです。逆に喜ばないと偏屈な人などと思われて、世間から疎んじられかねません。

 では滅苦のダンマ、つまり縁起、四聖諦の観点から見た場合、結婚、妊娠、出産はおめでたいことなのでしょうか。もしそうなのであれば、ブッダは比丘に「結婚し、どんどん子を設けなさい、そうすれば苦が減ります。」と勧めるはずです。

 しかし少なくともブッダの言葉とされる経典を見る限り、比丘に対してその様に説いたと記述されたものはありません。むしろ、「家を出て財産を捨てなさい。欲情してはいけません。性的な接触を避けなさい。」とそれこそしつこく説かれています。時には既婚者を出家させています。あるときにはブッダに黙って跡取りを設けようとして元の妻とセックスしていた比丘を破門しています。破門の理由は執着することの害を繰り返し述べたのに、それに反する事をしたからです。

 これらのことを見れば、結婚して子を設けると言うのはブッダが心から勧める事でないのは明らかです。真面目に解脱を目指す比丘には、勧めるどころかむしろ絶対に避けなさいと教えていると言えるでしょう。これは何故でしょうか。

 結婚すると言うことは、特定の配偶者を決め、その人と共に生活することを意味します。当然、夫と妻はお互いを自分のものと認識し、他の人とセックスすることはルール違反です。

 つまり、結婚は「自分の妻」あるいは「自分の夫」と言う束縛を生じさせる行為です。この様な束縛、所有の考えは必ず執着を伴います。もし勝手に伴侶が他の異性とセックスすれば、それは重大な背信であり、愛情が深ければ深いほどそれによって心の傷つく度合いも深まります。何故傷つくか、それは相手に執着しているからです。*1他人の浮気話を聞いて、我が事の様に傷付き苦しむ人はいません。「自分の」"愛する"、"大好きな"人が浮気したから苦しむのです。 「他人の」愛する大好きな人が浮気しても普通「それはそれは」程度であり、心の底から傷付いた、などと言う事はないのです。

 ブッダは執着を捨てることを説きます。そのために執着の原因となる「自分」、「自分のもの」を捨てなさい、六根(五感と心)の喜びに陶酔することを避けなさいと教えます。

 結婚して配偶者と共に暮らすことは上に述べたように「私の妻」「私の夫」と言う概念に縛られるだけでなく、子供が出来れば「私の可愛い赤ちゃん」とやはり執着します。それが相当強い執着になることも少なくないでしょう。

 また、結婚すれば当然子を設けるために*2セックスをします。最近増えている子供を設けない夫婦は、経済的な理由もありますが、セックスはするのです。これはつまり育児と言う負担を避けてセックスの快感だけを享受するための結婚です。セックスの快感は六根の喜びの代表的なものであり、どっぷりと陶酔する対象です。近年ではセックス依存症などと言われる人も少なくない様です。

 しかしもし極めて客観的な観察眼があれば、セックスは不潔で大変な労力を伴う危険でもある行為なので避けたい行為に見えてきます。

 しかし世俗の価値観に埋もれた、つまり無明に覆われた人にはセックスは非常に魅力的な快感を伴う行為です。以前性欲について説明したように、セックスへの欲望は肉体を永遠に維持できない生命に、自らの遺伝子を残させるために自然界が設定したプログラムです。

 このプログラムされた欲望は自らの肉体を生き残らせる欲望の次に強力に設定されていますから、普通は抗えません。なので「子作り」と言う大義名分を利用して夫婦は性的快感に陶酔し、セックスに耽ります。逆にセックスに関して望む様な快感を得られない人は、夫婦関係の維持に大変困る訳です。

次回に続く

*1:この様に世間で言われる愛情は実際には渇愛であり、執着の原因です。

*2:多くの場合実際には肉体的快感を得るために