ブッダダンマ各論

ブッダの教えについて各論、雑感を述べていきます。初めての方はブログもどうぞ。http://mucunren.hatenablog.com

絶対的、相対的価値観

 世間では「絶対的な価値観はない」とか「多様な価値観を認めるべきだ」と言うような話があります。しかし、全ての人にそれぞれの価値観があり、それらを全て認めるということは、「力が強い者が全てを制し、他者から奪っても良い」とか「私あるいは我々こそが正義で、それに従わない者は悪であり討伐、蹂躙、あるいは殺害しても良い」と言う犯罪者の様な価値観も認めることになります。
 当然こういう価値観まで認める訳には行かないので、俗世では方便として法律を用意しますが、法律には人間の行動を直接制御する力はないので、身勝手による犯罪を全て防ぐことは出来ません。また、法律は人間が作り出した不完全で無常のものなので、合法的に悪をなすことも出来てしまいます。
 しかし、「私だけが欲しい」「他の人より多く欲しい」と言う発想がなければ、人と人が対立し、互いに何かを奪い合う様な事態は生じません。そう言う時にわざわざ「誰かが絶対的に正しいことはないので、互いに考え方を認め合おう」などと価値観を相対化する必要はありません。
 したがって、「多様な価値観」と言うのは一見正しそうな言説ですが、実際には、真実に沿う、全ての命にとって利益のある価値観でなければ認めることは出来ないのです。「多様な価値観を認める」と言う説には限度があり、普遍的に適用できる話とは言えない訳です。そして実際、誰しもが尊重すべき、絶対的に認めるべきである価値観は存在します。これはすなわち「絶対的な正しさ」です。
 結論から言えばその価値観とはブッダが説いた滅苦のダンマですが、仏教を認めない人でも認めるべき価値観、つまりブッダダンマの一部を示すこともできます。それは「他者を害してはならない」「他者を攻撃してはならない」と言うことです。たとえ害を受けたからと言っても、それを加害で応酬するべきではありません。仇討ちが無限に続く怨恨の連鎖を生む様に、恨みを恨みで返す事は誰の利益にもならないからです。全ての命を思いやり、助け、譲る考えをもったとき、それによって生じる不利益はありません。
 もしも皆が「私、我々が正義なので、悪である彼、彼らを加害しても良い。」と言う様な価値観、基準を振り回せば、各自が自らの正当性を主張し、思いやらず、助けず、譲らない考えを持ちます。こうなった場合際限のない不利益、害が生じるのは容易に想像できる事です。そして実際にこの仕組みで加害されている人も多数存在します。これは縁起の流れによる苦の発生と同じ事です。
 これとは逆に「誰も加害してはならない」と言う価値観を守る限り、その価値観を守る人全てに利益があります。それは俗世の価値観での利益ではなく、普遍的な第一義諦での利益です。恨まない、加害しない事による利益が見えるならば、その人に争いは生じず、たとえそれが原因で今の肉体の命を失ったとしても縁起の苦の流れにはならず、最高の利益を得られることになります。これが絶対的に「正しい価値観」です。これは縁起の消滅による苦の消滅と同じ事です。
 また、「俺は正しくて、お前は間違っている」と言う考え方も、他者を害する方向、争いを生じる方向に傾くので正しくありません。実践は大変困難かもしれませんが、いつでも皆の利益になる方向を見て、恨まず、争わず、加害しない方向に心を傾ける事がとても大切です。
 何もいきなりブッダ、仏教を信じなくても「争うべきではない」「誰も加害してはならない」と言う教えはまともな宗教であれば全てのものにあります。仏教徒でなくても、人類全てに通用する、採用するべきである普遍的価値観です。