ブッダダンマ各論

ブッダの教えについて各論、雑感を述べていきます。初めての方はブログもどうぞ。http://mucunren.hatenablog.com

虫、殺生

普通に生活していれば、蚊を叩いて殺す、あるいはハエを殺虫剤や蝿叩きで殺すと言う事はあると思います。 鶏を飼っている家なら肉にして食べることもあるかもしれません。 この種の日常的な殺生は、生活のため、生きるために必要なものとして自然に受け入れられています。

そもそもこの世界は生存するためには他の生命を殺して食べる事が要求されます。また、意識せずとも人間の体内では免疫機能が体内に入った微生物を殺しています。つまりこの世で肉体を生存させ、維持するためには完璧に殺生から離れる事は出来ません。

しかし、だからと言って普段の生活で無駄な殺生が全くないかと言うと、そんな事はないでしょう。蚊や蝿を殺したり、ゴキブリを殺すのは、生存するためにどうしても避けられない殺生と言えるでしょうか。

特に蚊に刺されそうだから叩いて殺す、と言うのは「刺されたら痒いから」とか「羽音が不快だから」と言う理由が主で、他には「病気の可能性」とか「血を吸われるのが不快」と言う理由です。

これらはいずれも自分の「快適」を基準にした主観的な考えから生じるもので、少し不快な痒さや音に耐えれば生死に関わる程の問題ではありません*1

加害の気持ちを持つことは、「自分の都合」での視点を強化しますので、「自分」と言う執着である我語取が強くなる害があります。これは苦を増やす方向ですから、滅苦を目指すべき人間にとっては大きな害です。不要な殺生を避ける事は苦を減らすために必要不可欠な事です。

「痒いのは苦しいのに、痒くなるのを我慢しろと言うのは矛盾しているじゃないか」と言う反論は当然考えられますが、これは損得をトータルで見る事が出来ないので生じる誤解です。

例えば自分の最愛の者が溺れていて手をさしのべたときに引っ掻かれて血が少し出たからと言って怒り狂ったり、大騒ぎする人がいるでしょうか。血を流した損より最愛の人の命を救った利益の方がはるかに大きいと考えるので、そんな程度の出血や怪我は気にならないのではないでしょうか。

蚊に対しても少し位の血をあげて、その食事を与えたと考えられるなら、それは功徳であり、その利益の大きさを見れば痒さや血を大きな損と考えないのではないでしょうか。しかし普通の人はこうは考えられません。

「最愛の人」と「そこらの十把一絡げの害虫である蚊*2」と言う差別があるからです。この差別が善悪、美醜、大小、長短と言った陰陽を生じるので、比較が生じ、苦となります。

結局「苦とは何か」、「何が苦なのか」と言う真実がはっきりと見えないうちは、苦から逃れることは出来ません。

病気などもそうですが、正体がはっきりしないものに根拠のある対応は出来ません。当然、苦が何かを明らかに認識出来ない状態で苦から逃れることは出来ません。

殺生、加害は縁起と同様に深い問題なので、皆さんも熟慮されてみることをお勧めします。

*1:深く見れば肉体の生死も多くある命の中の一つの命の問題です。命は必ず老いて死にますから、肉体の死すら絶対的な基準とはなり得ません。これは深い教えです。

*2:害虫、益虫と言う様な考え方も人間の都合の視点から見た極めて身勝手な考え方で、客観的な真実とはかけ離れたものです。