ブッダダンマ各論

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「自分」と「所有」

どのような人でも、普通に生きていれば「自分」と言う感覚が生じます。人に限らず、すべての生き物は多かれ少なかれ「自分」と言う感覚によって動いています。例えば赤ん坊でもお腹がすいたり眠かったりすれば何とかして欲しいと泣きますし、良い感覚の時には機嫌が良くなります。
想(意識、思考のある状態)がないと思われる菌類などですら、生存に都合の良い栄養や、繁殖場所を求めて胞子を移動させます。

「自分」と感じはじめると、自然と「自分の(何々)」と言う「所有」の概念が生じてきます。これも人に限りません。例えば鳥なら「自分の巣」を作りますし、カビですら「自分の苗床」を持っています。*1

人間の所有になると、上の話よりも更にずっと複雑な様相を呈して来ます。自分の心、自分の身体をはじめとして、自分の家族、自分の恋人、友人、財産、地位、能力、などなどその所有の対象は広範を極めて際限がありません。空に浮かぶ星に自分の名前をつけるという話すらあります。「所有」と言う考えに際限がない好例です。

星とまでは行かなくても、普通に生きていれば誰でも色々な「所有物」を持っています。ここで「自分の」と言うことについてもう少し深く見てみましょう。「自分の」ものは「自分」に関わりのあるものなので、「自分」に関わりのない物事を「所有している」とは考えません。

例えば全く見ず知らずの人が、全く良く知らない何かを欲しいと考えていたとします。これについて貴方は何を感じるでしょうか。おそらく大抵は「そんなの何も情報がないのに判断しようがない。彼だか彼女だかが何を手に入れようが入れまいが知らないし、関係がない。」と感じるはずです。

 

しかしその欲しがっているものが今自分の持っている大切な物、例えば自分の財布だとしたら途端に「とんでもない」あるいは「ふざけるな」と考えます。逆にその欲しがっているものが今すぐ捨てたいもの、例えば手に持っているゴミだとしたら「どうぞどうぞ、処分してくれるんですか」と喜んで差し出す訳です。他人事ならどうでも良いのですが、こと「自分の都合」に関わるとその途端に放って置けない話、関心事、一大事に早変わりです。

「自分」に全く関わりがないと感じる事、知らない物、出来事を人は「自分のもの」とか「自分の興味ある事」と考えないので、そこに何の感想、感情も発生しません。こう言う時は心は平和で、苦がない状態です。普通は身内が死ねば悲しいですが、知らない人が死んでも一々悲しみません。もし誰かが人間が生まれるたびに喜び、死ぬたびに悲しんでいるとすれば、その人の心はほとんど一秒たりとも休まることなく常に喜び悲しんでいなくてはなりません。この様であれば本当に大変です。

全く見ず知らずの人が今生きようが死のうが、それについて普通は何の感想、感情も発生しません。何の感想、感情も発生しないのに、苦しくて仕方がない、という事はありえないので、これを「苦がない」と言います。*2


なぜ苦がないのでしょう。その理由は、「自分」に関わりがないからです。*3
この様に「自分」と思わない、関わりのない事に苦が発生しない、と言うことはとても重要な事実です。

しかし人間に限らず全ての生物に「自分」という感覚は自然に発生しています。これは肉体を生存させ、生殖して遺伝子を保存するためです。
もし「自分」と考えなければ、肉体を維持しようとも考えず、わざわざ食料を探して食べたり栄養を摂ることはせず、呼吸すらどうでも良いのです。そうなれば普通はすぐ死にます。*4
しかし自然界、生物を観察すれば、一々考えるまでもなくそう言う風にはなっていません。全ての生物が発生した瞬間に肉体維持のための活動を始めます。*5これは個体を維持させ、死なせないように活動する方向にプログラムされているからです。全ての生物はこのプログラムによって呼吸し、食事し、外敵から身を守り、睡眠し、生殖する様に行動します。

これは動物の水準の話ですが、人でもこれらの動物的水準の欲求を満たすために行動しているのは同じです。ただ人の場合は個々の力のせめぎ合いの様相が複雑化しているだけで、「心地よい生存」「好ましい感覚」を求めるという意味で客観的に見れば、他の動物と比べても何ら高度な事はしていません。むしろより下劣な場合も少なくありません。
全ての「自分」から生じる欲望の源泉は「労苦なく快適に生存したい」「より多くの快感を得たい」と言う話に収束します。
「所有」と言う考えは、上記の欲求の実現のための方便とも言えます。

ここで「所有」とはどういうことかもう少し深く見てみましょう。「所有」は「自分のもの」として持っている、維持していることです。しかし「自分のもの」の代表格である肉体は、必ず死んで失われます。「自分の心」もころころ変化して維持できません。
昨日の決意は今日どこへやら、ではありませんが、先ほどまで大好きだった恋人が、嫌な振る舞いで一瞬で冷めた、などと言う話もめずらしくありません。
大のお気に入りの洋服も、生地は薄くなり色は褪せるだけでなく、すぐに流行が変わって好きでなくなります。何年もローンを組んだ新車も、10年もすれば古びた中古車で、家なども同様です。

厳密に客観的事実を観察すると、「自分のもの」として維持できるものなどどこにもない事に気が付きます。
全ての物質は片時たりとも止まる事無く変化を続けています。
もっと厳密に言えば、発生したものは片時も維持されずに変化し続け、必ず消滅します。これを「止まっていない」、「常でない」ことから「無常」と言います。
シャボン玉は無常を見るのに良い例です。シャボン玉の表面を良く見ると液体の流れが見え、玉の形も変わり、数秒で破裂します。一瞬たりとも状態は静止していません。
自動車とシャボン玉は寿命が違うだけで、常に変化していて必ず失われる、消滅する事に変わりはありません。
流石にシャボン玉を「自分のもの」として持っていると考える大人はいないでしょうが、
事実を良く知らない子供ならシャボン玉を宝箱に入れてしまっておきたいと考えるかもしれません。しかし好ましい状態は失われ、がっかりします。

ただ、良く見ると大人も家や自動車などを所有しているとか宝だと考えているので、シャボン玉を宝箱にしまおうとする子供と大差ないのです。厳密に見ると、この話では子供も大人も無常が見えていないので、真実が見えない、暗闇の中にいる、と言う点で「無明に覆われている」と言う同じカテゴリーに分類されます。
子供は縁日で風船を買ってもらって大喜びし、家に持って帰って数日もしないうちにしぼんだ風船が地面に落ちていてがっかりするのですが、大人も洋服も宝石も自動車も家族も財産を喜んで所有したと思って失われてがっかりします。無常の全ては必ずしぼむ風船なのです。

例えば俺は大富豪だと浮かれていたら、バブルがはじけて一家離散します。

肉体ですら必ず死んで失われるので、ショックな事かも知れませんが、「持っている、所有している」と思っているものは全てシャボン玉と一緒で維持できず、必ず失われ、持っていられません。
死ぬ瞬間まで「この財産、地位は俺のものだ」と思って死ぬ人もいますが、死ねばもう法的にも所有、維持できません。誰かの手に渡ります。
つまり所有は錯覚だった、というのが事実です。

錯覚を事実だと思えば、必ず思い通りにならない事態になるので苦しみからは逃れられません。
例えば大好きな、愛する家族を失って大層嘆き悲しむ人や、あるいは子供と死別して自殺する親などと言う事も当然あり得ます。
これは「自分の家族」「自分の子供」が死んだからです。どの様な苦しみも「自分の何々」と考えている事が原因です。
仮に他人の子供が死んでも、その時悲しみ哀れんで「大変でしたね」と言う事はありますが、後追い自殺まではしません。死んだのは「自分の子供」ではないからです。

他の例としては「自分の思い通りにできるもの」などと錯覚しているので、夫/妻に全く気遣いもせず、何かしてもらうのが当たり前と考えて挙句の果てに離婚する、などという事も「所有」と言う考え、錯覚が原因です。

前人未到の場所で金の山を見つけたとします。喜んで可能な限り金を抱えて持ち帰ろうと思いますが、歩いている内に金塊の重さに両腕はしびれ、脚は重たさに悲鳴を上げます。金を抱える事も石を抱える事も、重くて苦である事に変わりはないからです。これは喜んで抱えているものが、実は苦しみを生み出す原因だった、と言う例え話です。

簡単に納得できないということはあるでしょうが、「自分」「自分のもの」と言う考えは事実ではないので、事実でないことを事実だと思い込めばどうやっても苦しむ結果になる、と言うのは何となく理解できるのではないでしょうか。

*1:一部のカビは「自分の苗床」ごと人間に駆除されたりします。一部の人間は、「自分の家」ごと津波火砕流にまきこまれて死にます。

*2:感想、感情がなくて苦しいと言う感想、感情がある、というのは矛盾しているからです。

*3:「知らない奴だろうが何だろうが、そいつが欲しいものを手に入れることは気に入らない」と考える人がいるかもしれません。人の望みが叶う事が気に入らない、つまり「自分の都合」に悪いのです。これは相当な重症です。見ず知らずの人間さえも「自分」の都合で判断する「身勝手」の症状がかなり進行していて、日常生活でもあちこちで支障をきたしている可能性があります。

*4:解脱した人は、肉体を慈しみで生かしているだけで、特別生存には執着しないのでいつ死んでも良いと思っています。

*5:場合によっては自壊します。