ブッダダンマ各論

ブッダの教えについて各論、雑感を述べていきます。初めての方はブログもどうぞ。http://mucunren.hatenablog.com

「正しい」怒り、ニの矢

「正しい」怒りなんてある訳ない、と仰りたい方はいるかもしれません。それはその通りなのですが、その話は一端置いて、ここではまず怒りとはどう生じるかと言う話を見ていきます。

例えば電車に乗っていて、大音量のイヤホンを付けた人が隣に来て、酷く音漏れしてきたとします。こう言う類いの謂れのない迷惑を被った経験のある人は少なくないでしょう。

普通こう言う時は「うるさいなぁ、静かにしてくれないかなぁ」と思うものです。当然、公共の場所で他の人に聞きたくもない音を聞かせるのはマナー違反ですし、正しい行為とは言えません。

ですから、音漏れの人が「悪」なのは間違いないのですが、腹が立っているのは隣の無辜の人の方です。中には酷く頭に来て「うるさいぞ、静かにしろ」などと怒鳴ってしまう事もあるかもしれません。いわゆるトラブルです。

この時客観的には、イヤホンの悪人は好きな音楽に陶酔していて、本人としては悪い気分ではありません*1。そして隣の人はうるさい上に頭に来て最悪の気分です。

どうも悪人の方が良い気分で、悪いことをしていない隣の人の方が頭に来て最悪の気分になっていて、話がおかしいと気付くでしょう。

何故こうなってしまったのでしょうか。それは深く真実を見てみると、その隣の人は、「この音漏れの人が悪い、この音は"私にとって都合が悪い"、"私は正しい"」と言う二つの「私」が怒りの原因として潜んでいたのです。 「私の都合に悪い」は怒りの種火で、「私は正しい」は怒りの燃料、ガソリンの様なものです。例えば悪いことを注意された時など、相手が正しいと思っている場合には、いくら「私の都合に悪い」と思っても「私は正しい」の燃料はあまりありません。こう言う時には「嫌だな」とは思っても、反省しこそすれ怒りが炎上することはあまりありません*2。 しかしこの音漏れの話の場合は「私は正しい」のですから、「私の都合」を侵害する悪人を排除する権利が当然私にはある、と言う様な気持ちが発生します。

この「私は正しい」と言う気持ち、「自らの正当性」と言う考えは実際には全ての怒り、加害行為のための必要不可欠な燃料なのです。「私は正しい」と思っていると、人は間違っている事、利益にならない事でも、あらゆる事をしてしまいます。極端な話、テロリストも「これは正しい」と思ってテロを行います。全ての戦争も同様です。「正しい」と言う後押しさえあれば人は人殺しも含めてどんな悪事でもしてしまいます。

これは非常に大切で、知っていれば利益*3につながりますが、知らなければ必ず不利益を被る、重要な事実です。こう言う事実を「最高の真実」と言います。一方、事実だとしても利益にならないものは「最高の真実」とは言いません。

さて、人は本当に心の底から「これをしてはいけない」と思っている事は、出来ないものなのです。例えば苦痛を終わらせるためとかでなく、元気に生きている最愛の人を今すぐ殺しなさい、と言われて平然と殺せる人はいないでしょう。それを心の底から正しいとは思えないからです。

日本では電車でのトラブルなどは自ら被る被害の可能性も高いので避ける人は多いと思いますが、もし私的判断で悪人*4を制裁できる状況だと見れば、都合の悪い人に加害する人は決して少なくないでしょう。その良い例は、躾と称した虐待や、暴力、嫌がらせなどです*5

何せ心の中で「この怒りは正しいものだ」と思っているのですから。この様な心の有り様になれば、その人は事ある毎に怒り、そのたびに地獄の苦しみを味わっています。この世のどこに「あー私は今怒っていて、最高に幸せ」と感じる人がいるでしょうか。客観的には怒りは「苦」であり、どう贔屓目に見ても幸福とは言えません。

しかし怒りの原因が上の音漏れの例の話の様に本当に悪い人なら、それでは理屈が、収支が合わないと感じるでしょう。何も悪いことをしていない「被害者」が「不快な音」だけでなく、「怒り(とそれに伴う苦)」と言う二次被害を受けているのですから。

察しの良い人は二次被害と聞いて気付かれたかもしれませんが、実はこれが仏教で言う「ニの矢を受ける」と言う事なのです。

怒りが地獄だと知らず、「私の都合」視点で考えていると、悪いことをすればもちろんのこと、世間的に悪いことをしていなくても迷惑を被った上に更に心の地獄に堕ちる羽目になるのです。何とも理不尽な話に感じるかも知れませんが、この世の仕組みはそうなっているのです。これに気付けなければ、事ある毎にその理不尽の下で苦しみ続ける事になってしまいます。

無知であること、無明に覆われている事、真実が見えないことは、つまり大変損な事なのです。

ではどうすれば良いのか、それを次回見ていきます。

*1:真実の観点からは苦の住人ですが

*2:中にはいつも「私は正しい」と言う心の病気が酷い人がいます。そう言う人は客観的には自分が悪くても「私が正しい、相手が悪い」と思い込んで怒り狂います。

*3:利益とは、苦が減る事だけを言います。お金や好ましい異性などは、利益ではありません。

*4:実は悪人とは限らず、単に「私に」都合の悪い人

*5:言葉の暴力も含め、事件として数えられていない暴力、嫌がらせ、あらゆる加害行為は、それこそ数えきれない程あるでしょう。