ブッダダンマ各論

ブッダの教えについて各論、雑感を述べていきます。初めての方はブログもどうぞ。http://mucunren.hatenablog.com

性欲の克服、不浄観

ブッダヴァチャナ(ブッダの言葉)を見ていると、渇望を捨てなさいと言う教えが何度も出てきます。

渇望の中でもとりわけ性的な事を避けなさい、捨てなさいとあります。男女の分け隔てなく、性的な欲求から来る衝動や満足に、ほとんど誰でも夢中になっています。夢中になるものは何でも、その満足の威力で新たな渇望が生じますから、まさにこれはブッダの説く苦の原因です。

つまりブッダは「性的な事から離れられない内は、苦から逃れる事は出来ません」と教えている訳です。

そうは言っても何度も説明してきたように*1、肉体を生き残らせる渇望の次に強力なのは性的な渇望です。実際にこれを克服するのはそう簡単な事ではありません。

男性が好みの女性との性交を想像するのを止めるのが相当困難なのと同様、女性が恋愛沙汰、おしゃれや見栄、可愛いもの、住居や食べ物の事(女性のこれらの事への関心は性欲由来です)から関心を離すのは相当困難でしょう。

ブッダは性的な事から離れる方便として、性行為を客観的に、真実ありのままに見る事を勧めました。特に性欲に関して有効な真実の見方として、不浄観が挙げられます。

不浄観とは、肉体と言うものを客観的に見る事です。肉体には九つ(女性は十)の穴があり、そこから常に汚物が出ている様な不潔なもので、決して清浄なものではないと言う事実が見えてくると言う教えです。

これだけでも十分になるほどと思える説明ですが、もう少し詳しく見てみましょう。

人体は内部に血液、リンパ液、唾液、糞尿、骨、肉があり、それぞれの構成物質はどれも望んで触りたい様なものはありません。皮膚にも寄生虫や常在菌、様々な雑菌が居ます。髪の毛なども飲食店で注文の品に入っていたら非常に毛嫌いします。

また、人体は生きていても不潔なものなのに、死ねば即座に腐り始め、腐肉から強烈な腐臭を発します。ウジがたかり、皮や腱が残り、そのうち骨だけになり、遂には骨も崩れ去って残りません。

性的な事に話を戻すと、誰も普通は同性や年輩者の異性の肉体に触れたり、なめ回したり、密着して性的な行為をしたいとは思いません。丁度良い条件の性的行為の対象となる肉体だけに欲情します。この様に極めて限定的な条件でないと発動しない衝動は、つまり錯覚から生じているのです。どんな美男美女でも、少し刃物で顔を切り刻んだら化け物の様になります。また、その肉片を好んで愛撫する人は普通はいません。男性は大抵女性の乳房が大好きですが、絶世の美女から乳房だけを切り取って「どうぞ貴方の大好きな乳房ですよ」と渡されたらどうなるのでしょう?普通は愛撫どころか逃げ出すでしょう。つまり男性も別に客観的物質としての乳房が好きなのではなく、極めて主観的で(つまり「自分」の欲望に対応した)抽象的な対象である「好ましい女性の胸に付いている、条件の揃った肉の固まり*2」に錯覚して欲情しているだけなのです。

男女で考えても、普通の性癖の男性はどんな美男子だろうとその性器に触れたいなどと欲情しませんし、女性も同様にどんな美女だろうとその性器に触れたいなどとは考えません。むしろおぞましいと考える筈です。

男性が美女に欲情して望む行為は、女性にとっては男性が感じる様な良いものではありません。それどころか吐き気のする様な不潔な行為と感じる筈です。性別が逆でも同じ事です。

この様に欲情から生じる性的な行為と言うのは極めて限定的な、特に主観的な欲望に依存した条件が揃って初めて発動します。これは普遍的な真実とは全くほど遠いものです。また、それらの美男美女も必ず老いて性的な魅力も無くなり、更に老いれば死んで腐る死骸となります。

これらの事実を見れば、欲情の対象とは個人的な主観に依存する、真実とは程遠い一時の錯覚であり、単なる遺伝子の保存のために自然界からインストールされたプログラムであると言う事実が見えて来ます。

何せ不潔な死骸の元となる肉体が、性別が違う死骸の元となる肉体をなめ回して、大変な労働力を割いて性器を交差させるのです。しかも死に到る病気が伝染するような危険まであります。

客観的に見てこれほどおぞましい行為は中々ありません。しかし、だからこそ自然界は性欲を非常に優先順位の高い欲求に設定して、更に騙して何度も性行為を行わせるために強烈な快感をその行為に与えました。

この様にされると自然に生きて渇望に騙される生物は、喜んで性的な行為を望み、その行為と快感に耽ります。全く自然界の思惑通りです。そうして生物は自発的に、率先して生殖行為に励みますから、天敵や病気、闘争などの外的な原因以外で滅びることはなくなります。

実際、生物全体が「生殖なんて止めた、不潔で大変な労働で、危険で馬鹿馬鹿しい。」と悟る事は事実上まずあり得ないのです。そうして生物はこの世界に縛り付けられて、輪廻を続けると言う仕組みです。この様に第一義諦から見た自然界のプログラムは全く巧妙であり、皆が好んで苦の束縛、特に性的な鎖に縛られているのだと言う真実の様相が見えて来ます。

*1: 性欲の内容はこちらなどをご覧ください。

*2:乳房がひとつだけだったり三つあったり、腰についていたらやはり逃げ出すのです。