2015-04-01から1ヶ月間の記事一覧
美しい花を見て「美しい、、、」と感じたり、赤ちゃんや猫などを見て「可愛い、、、」と思う人は沢山います。 至極普通の事ですが、ダンマの視点から見ればその人達は目で見た美しさにうっとりして陶酔しています。美しさ、可愛さを「自分のもの」と掌握する…
ブッダの教えを見ていると、ほとんどが欲(特に性欲)と怒りの話と言う印象を抱くことがあります。 考えてみれば確かに人が苦しむ原因の大部分は欲と怒りなのです。 欲(性欲)は素早いもので、多くの男性は魅力的な女性が近くを歩いているだけで目が釘付け…
怒ると言うのは本当に苦しい事で、怒っているときに無上の幸福を味わっている人はいないでしょう。 私もダンマを学んで実践するまでは、瞬間湯沸し器の様にすぐカッとなる様な性格でしたが、それこそ毎日24時間、我、身勝手を減らす様に心を注意してきて、最…
縁起は、真実をありのままに見られない状態である、無明から執着が生じて苦になる事を教えています。 無明があるので四種の執着(取)が生じます。欲取、見取、戒禁取、我語取です。欲取とは五欲(目耳鼻舌体)の満足への執着です。見取とは自分の考え方に対…
肉体の死後の輪廻は皆さん関心のある話題の様です。 第一義諦の縁起の話も生老病死の因果の話があるので、死後の輪廻について語られていると言う見方も当然あり得ます。むしろそう取る方が自然です。 ブッダは普通の人が死後に再び生まれる原因は渇愛(欲望…
ブッダが教えを説いたインド周辺では、議論が盛んな文化があった(ある?)ようです。 多くの人々が「何故?」と言う事を良く考え、感情的に少々不満を感じても、論理的に納得できれば認めると言う考え方は、日本にはやや馴染みが薄いのかも知れません。 し…
ブッダがアジャータサトル王に教えを説いたとき、王が在家信者となる意思を示したと言う経があります。 ブッダは弟子の比丘に、「王から深い信仰を感じた。もし王が父王であるピンピサーラ王を殺す罪を犯していなければ、彼は出家して阿羅漢となっただろう。…
有為の全ては無常と言うのがブッダの大切な教えですが、油断すると直ぐにこれを忘れてしまうのもまた人と言うものでしょう。 例えば歩いているときの身体を見てみましょう。呼吸は常に止まらず、吸って吐いてを繰り返します。つまり循環です。 右足を出して…
これまでも何回か述べてきましたが、有為のものと言うのは存在のために存在が必要なもの、原因と結果、発生と消滅を繰り返すものと言う意味です。 我々人が六根(五感と心)で認識しているものは全て有為です。 物質の色、形や音、臭い、味、触感はもちろん…
ブッダに最初に教えを受けたアッサジと言う比丘が托鉢している様子を見て、ウパディッサ(後のシャーリプトラ、般若心経の舎利子)は「あなたの師はどういう方ですか?どういう教えをされるのですか?」と聞くと、アッサジ比丘は「私もまだ入門して日が浅く…
ツイッターでのフォロワーさんとの会話から今回の話を書きます。私は現行の心理学を専門に学んではいませんが、フロイトは全ての欲求が性欲が原因と言う説を唱えていたと記憶しています。これは良い所をついています。 ブッダは心で掌握する苦を消滅させるた…
15年位前でしょうか、立体視の絵が一時期流行したことがあります。特に点の絵から立体が浮かび上がるタイプのものは、見えないと本当にただの点の集まりの絵でつまらないものです。 悟りもこれに近いものがあると思います。例えば日本人なら多くの人が桜が咲…
輪廻転生は肉体が死んで生まれ変わる事に限らないと言う話をブログには書きましたが、そもそも輪廻は良いものでしょうか、それとも避けるべきものでしょうか。 「肉体が死んだあと、全く記憶が消えるなら同じ人生を歩んでも構わない」と言う人もいます。 そ…
ブッダの言葉には、「ダンマを学ぶなら髪の毛に火が付いている人のようにとか、身体に毒の矢が刺さっている人のような気持ちで急いで真剣に学びなさい」とあります。 何故それほど急かすのか不思議に思ったものですが、良く考えてみるとこの世は無常で、人間…
古い経を見ると、ブッダが比丘(僧)に無常で変化するものは苦ですか?と聞いて、比丘は「苦です」と即答しています。 さらりと書いてありますが、本当はこれは理解、納得するのはかなり難しいことなのです。何故なら、たとえば美しいものを見たときの喜びや…
ここまで縁起について連続して述べてきましたが、これまで私のブログでもツイッターでも感情の発生過程の中にある身勝手さを探して、それを反省して改める方法をお勧めしてきました。 実はこの方法は縁起の中の無明を減らすことと同じなのです。 身勝手な心…
縁起が見えなければ私はサンマーサンブッダだと宣言しなかった、と言われるほど大切な縁起の教えですが、縁起の段階はいくつかの種類で語られています。一般的なのは十二縁起と言われる十一段で十二の項目からなるものです。この縁起では最初に無明(無知、…
ブッダは縁起の仕組みが見えなければ「解脱した」「アラハンサンマーサンブッダ」になったと宣言しなかったと言う経があります。 (中部マッジマバンナーサ 13巻355頁371項、相応部ニダーナヴァッガ 16巻84頁154項等) 縁起は苦の発生過程を完璧に分析したも…
ブッダの教えを学んでいて、「苦」は最初に学ぶ事ですが、何が「苦」なのかを明らかに知るのはそう簡単ではありません。 確かに普通は歯が痛いとか、お腹が痛いとか、欲しいものが手に入らない、好きな人と別れる、そう言った事は簡単に「苦」だと納得できま…
以前プッタタート比丘のサイトを拝見していて「どんなものが一番満足できるものですか?」とブッダが聞かれて「ダンマ」と即答したと言うくだりがありました。 当時まだダンマを学び始めて日が浅かった私は「理屈じゃそうなんだろうけど、娯楽や、美食、特に…